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心の時空

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a day in my life

牧谿と等伯(後)

長谷川等伯(1535~1610)については、多くの美術史書や展覧会カタログに詳しく掲載されているので略歴だけ紹介します。
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               国宝「松林図屏風」(東京国立博物館所蔵):下写真2枚、左右拡大
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能登の七尾(現在の石川県七尾市)で生まれ、幼少のころから仏画を書いて育ちました。
30才を過ぎて上洛し京都画壇へデビューしました。
a0212807_23592847.jpg桃山時代の京都にあって利休ほか茶人や大名たちと交わり、長谷川等伯の才能が、開花しました。
40才を過ぎたころから京都でも有名な絵師の一人となり、画号を‘等伯’と称するようになりました。
当時京都洛中で宮中・寺院の障壁画の仕事を一手に仕切っていたのが、狩野派でした。
長谷川等伯を知る大名たちの推薦で退位した天皇の住まう「仙洞御所対屋(せんとうごしょついのや)」の障壁画を長谷川等伯が、依頼されました。
これに慌てたのが、狩野派の総帥狩野永徳で、等伯への障壁画依頼を必死で妨害し宮中に取り消させました。
50才を過ぎると長谷川等伯は、自らの画境を牧谿の水墨画の中に求め、牧谿の画に漂う空気感を自らのものにし「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」を完成させました。
a0212807_025516.jpg晩年等伯は、法眼の僧位になりますが、町絵師を続けながら、自らは町衆の有力者の一人として寺院の建立・寄進などの社会貢献に努めました。
70才を過ぎた1610年、長谷川等伯は、旧知の徳川家康の招きで江戸に向かいますが、旅の途中発病し江戸到着の2日後に亡くなりました。
享年72才でした。

(写真上と左) 重要文化財「枯木猿猴図」 京都、龍泉庵所蔵
長谷川等伯は、京都大徳寺にある牧谿「観音猿鶴図」(こちら中段の画)を見て感動、牧谿を求め学ぶために「枯木猿猴図」を描きました。
by blues_rock | 2012-10-23 00:42 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)