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心の時空

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牧谿と等伯(前)

13世紀、鎌倉時代の日本に中国から渡来した牧谿(もっけい、生没年不明、四川生まれ)は、南宋の禅僧にして優れた水墨画家でした。
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                       国宝「漁村夕照図」(根津美術館所蔵)
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                上写真:「漁村夕照図」の左部分拡大、下写真:同右部分拡大
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当時、日本と中国は、禅宗寺院の間で活発な交流があり、南宋の禅僧法常も日本に渡りました。
禅僧法常は、南宋(浙江)で、牧谿(もっけい)と号し画家としても有名でした。
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                         国宝「観音猿鶴図」(大徳寺所蔵)
当時の中国は、唐の時代に始まる院体画(いんたいが)が主流で、花鳥山水の対象を写実的に精密に水墨で表現していました。
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13世紀末、南宋(漢民族)が、元(モンゴル民族)に滅ぼされると牧谿の水墨画は、「粗放にして古法なし」と悪評され忘れ去られました。
牧谿と等伯(前)_a0212807_22585093.jpg牧谿が、墨で描いた花鳥山水画の空気感は、日本の禅宗の僧侶や茶禅(茶の湯の原始)の数寄(公家・大名)に絶賛され大いに評価されました。
14世紀室町時代になると牧谿の評価は、ますます高まり、当時和尚といえば牧谿のことを指すほどの評判でした。
日本に渡来してからの牧谿についての記録は、数多残り、牧谿が描いた水墨画の来歴も相当正確に分かっています。
牧谿の作品は、台湾にある伝 牧谿の1点が、あるだけで残りは、全部日本にあります。
中国・欧米には、牧谿 伝称の作品も含め存在せず、台湾の故宮博物館に1点、伝 牧谿の写生巻として1巻残されているだけです。
日本にある牧谿の優品は、国宝3点、重要文化財9点、それ以外にも8点、伝 牧谿も含め20点が、現存しています。
牧谿は、日本の絵画史において後世に大きな影響を与えた重要な画家です。
牧谿から遅れること200余年、牧谿の影響を最も受けた画家が、安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(1535~1610)でした。(続く
by blues_rock | 2012-10-22 00:30 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
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