牧谿と等伯(前)
禅僧法常は、南宋(浙江)で、牧谿(もっけい)と号し画家としても有名でした。
当時の中国は、唐の時代に始まる院体画(いんたいが)が主流で、花鳥山水の対象を写実的に精密に水墨で表現していました。
牧谿が、墨で描いた花鳥山水画の空気感は、日本の禅宗の僧侶や茶禅(茶の湯の原始)の数寄(公家・大名)に絶賛され大いに評価されました。
14世紀室町時代になると牧谿の評価は、ますます高まり、当時和尚といえば牧谿のことを指すほどの評判でした。
日本に渡来してからの牧谿についての記録は、数多残り、牧谿が描いた水墨画の来歴も相当正確に分かっています。
牧谿の作品は、台湾にある伝 牧谿の1点が、あるだけで残りは、全部日本にあります。
中国・欧米には、牧谿 伝称の作品も含め存在せず、台湾の故宮博物館に1点、伝 牧谿の写生巻として1巻残されているだけです。
日本にある牧谿の優品は、国宝3点、重要文化財9点、それ以外にも8点、伝 牧谿も含め20点が、現存しています。
牧谿は、日本の絵画史において後世に大きな影響を与えた重要な画家です。
牧谿から遅れること200余年、牧谿の影響を最も受けた画家が、安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(1535~1610)でした。(続く)