ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

ファン・エイク兄弟「神秘の子羊」

私は、十代の終わりから三十代半ばくらいまで西洋絵画に取り憑かれ、熱病患者のように国内・海外の美術館を訪ねました。   ◇1432年 ファン・エイク「神秘の子羊」 (絵の上で左クリックすると写真が拡大します。)               
a0212807_21463636.jpg
学生時代の4年間は、授業をサボって大学美術部のアトリエで絵ばかり描いていました。
やっとのことで就職しても私の熱病癒えず、職場同僚への配慮や他人の迷惑など一切省みず長い年休を取得して4度ほどヨーロッパの美術館詣(もうで)に出かけました。
a0212807_21523065.jpgフランス・スペイン・イタリア・オーストリア・ドイツ・オランダ・ベルギー・スイス・イギリスの主要な美術館を見てまわりました。
ヨーロッパの主要な美術館が、所有する作品の“質と量”は、ひとつの絵を見てその美しさに驚き、開いた口も閉まらないまま次の絵を見て、また感動で心臓バクバク‥そんな驚きと感動のヨーロッパ美術館巡礼でした。
その中に、最初に渡欧した1974年、三回目に渡欧した1978年、ベルギーのガント市で見た感動の傑作がファン・エイク「神秘の子羊」でした。
ガント市シント・バーフ大聖堂の祭壇画で、1432年ファン・エイク兄弟が、共同で兄フーベルトから弟ヤンへ受け継いで描きあげた傑作です。
祭壇画「神秘の子羊」は、シント・バーフ大聖堂に飾られた当時のまま、現在に至っています。
a0212807_21535543.jpg祭壇画を開いたとき両翼は、小柄な大人の両腕を横に広げたくらいの大きさで表と裏合わせて24枚の絵で飾られています。
初期フランドル派を代表するヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck 1390-1441)は、油彩画(油絵)を発明、その絵画技法を完成した画家として美術史に名を残しています。
ヤンの兄フーベルト・ファン・エイクも画家で、シント・バーフ大聖堂の祭壇画「神秘の子羊」は、当初兄フーベルトが、構想し描き始めた絵でした。
兄フーベルトが亡くなると弟のヤンが兄の意思を受け継ぎ1432年に祭壇画は完成しました。
兄フーベルト・ファン・エイクについての生涯は、未だ良く分かっていません。
a0212807_21574083.jpg弟ヤンの職業は、最初写本装飾画家であったろうと推察されています。
その後、兄フーベルトの元で写実による細密な絵を描く技術を学びました。
ファン・エイク兄弟は、従来のテンペラ技法から油彩による絵画技法を発明し、弟のヤンが油絵具の改良を重ね、油彩画による絵画の表現技法を大きく革新しました。
シント・バーフ大聖堂の祭壇画「神秘の子羊」以外では、弟のヤン・ファン・エイク晩年の作品10数点が、確認されているだけです。
祭壇画「神秘の子羊」を装丁した木枠にヤン・ファン・エイクの意思により「歴史上最大の画家フーベルト・ファン・エイクは、その困難な仕事に着手したが死亡した。彼の死後にユドークス・ファイトの要請により1432年5月6日、才能において彼に及ばない弟ヤンがこれを完成した」と銘文が彫られています。
a0212807_2210773.jpg
ヤン・ファン・エイクの写実絵画の影響は、油彩画の技法とともにフランドルから北ヨーロッパへ広がり北方ルネッサンスを誕生させました。
やがてイタリアへ伝わり、人類の至宝である‘ルネッサンス絵画’が、次々に生まれ美術史に燦然と輝くヨーロッパ絵画の黄金時代を迎えました。
by blues_rock | 2012-09-13 05:50 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)