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心の時空

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a day in my life

グランド・ファンク・レイルロード(暴走列車)

グランド・ファンク・レイルロード(GFR)は、私にとってアメリカン・ハードロック・バンドの原型です。
1969年にデビューし、当時人気の出始めたレッド・ツェッペリン(1968年デビュー)のアメリカ公演で前座をつとめ、その凄まじいハードロックのライブ演奏で聴衆の度肝を抜き、アメリカのロックファンを熱狂させました。
デビューアルバム「グランド・ファンク・レイルロード登場 0nTime」からシングル・ヒットした「Heartbreaker」は、アメリカン・ハードロックの古典といえるでしょう。
日本でも早くから人気があり、井上陽水は、この曲のコード進行をヒントに「傘がない」を書きました。
a0212807_0445981.jpg巨大なPA機材(アンプ・スピーカーなど)を使用して大音響で骨太なハードロックを演奏し、野球で例えるなら、ど真ん中のコースへ剛球を真っ直ぐ投げ込むようなハードロックでした。
泥臭く野暮ったい格好ながらコンサートでのパフォーマンスは、過激な演奏でプロ根性に徹したライブを行ないました。
1971年7月、日本初の「後楽園球場」野外ロックコンサートは、日本におけるロックコンサートの伝説となりました。
グランド・ファンク・レイルロードが、「後楽園球場」にファン4万人を集め、過激なライブを始めようとしたその時、東京の空が、突然の稲妻(カミナリ)と雹(ヒョウ)混じりの豪雨になり、そのトラブルで停電してしまいました。
当時の「後楽園球場」には屋根もなく、コンサートに来ていた大勢の聴衆は、すぶ濡れになりながら夕立が上がり停電の復旧を待ちました。
この騒ぎでチケットを持たず会場の外にいた数千人のファンの一部が、興奮し暴徒化、会場に入ろうとして警備していた機動隊と衝突しました。
a0212807_0471223.jpgステージやコンサート会場に設置された多数の音響機器・照明機材が、雨に濡れてショートする危険や配線された電気コードによる感電事故の不安など主催者(プロモーター)に緊張が走りました。
グランド・ファンク・レイルロードが、「後楽園球場」にファン4万人を集め、過激なライブを始めようとしたその時、東京の空が、にわかに曇り突然の稲妻(カミナリ)と雹(ヒョウ)混じりの豪雨になり、そのトラブルで停電してしまいました。
しばらくして、グランド・ファンク・レイルロードの“Are you ready?”でライブが始まるとコンサート会場は、バンドに煽られ興奮のるつぼと化し‥「後楽園球場」全体が、まさに‘グランド・ファンク・レイルロード’(暴走列車)になりました。 (上と下の写真 : どしゃぶりの雨の中でのグランド・ファンク・レイルロード後楽園球場コンサート)
a0212807_10553677.jpgあまりの過激ぶりに主催者(プロモーター)は、会場コントロール不能への怒りと事態収拾への心痛で疲労困憊(こんぱい)だったとか、このコンサートを主催した音楽事務所は、これを最後にハードロックのプロモーションを二度としなかったそうです。
グランド・ファンク・レイルロードは、当時まだロックそのものに対して初心(うぶ)であった日本人に強烈なインパクトを与え“ハードロック”のイメージを作り上げたバンドだったかもしれません。
グランド・ファンク・レイルロードは、1973年に「We're An American Band」を、1974年には「The Locomotion」を全米№.1ヒットさせました。
by blues_rock | 2012-07-06 00:55 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)