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心の時空

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a day in my life

「神田川」と同棲時代

         神田川  ( 作詞 : 喜多條忠 / 作曲 : 南こうせつ )
     a0212807_17192071.jpg貴方はもう 忘れたかしら
     赤い手拭 マフラーにして
     二人で行った 横丁の風呂屋
     一緒に出ようねって 言ったのに
     いつも私が 待たされた
     洗い髪が 芯まで冷えて
     小さな石鹸 カタカタ鳴った
     貴方は私の からだを抱いて
     冷たいねって 言ったのよ
     若かったあの頃
     何も恐くなかった
     ただ貴方のやさしさが 恐かった

     貴方はもう 捨てたのかしら
     24色のクレパス買って
     貴方が描いた 私の似顔絵
     うまく描いてねって 言ったのに
     いつもちっとも 似てないの
     窓の下には 神田川
     三畳一間の 小さな下宿
     貴方は私の 指先見つめ
     悲しいかいって 聞いたのよ
     若かったあの頃
     何も恐くなかった
     ただ貴方のやさしさが 恐かった
a0212807_17352833.jpg神田川」は、「南こうせつとかぐや姫」(1970結成~)が、1973年に大ヒットさせた名曲です。
バイオリンのせつない音色の前奏に続き、喜多條忠(1947~)の詩を南こうせつ(1949~)が、前奏のメロディを引きとるように高音の澄んだ声で歌います。
現在(いま)では、「神田川」は、日本を代表する哀歌(エレジー)のひとつとなりましたが、このせつない歌は、団塊の世代(1947年~1949年生まれ)にとって、“胸キュン”とさせる感傷的な歌だろうと推察します。  (上写真:お茶の水の神田川と聖橋)
a0212807_187564.jpgこの歌が、流行った1970年代の初め、若者たち(団塊の世代)が始めた正義感と情熱のまま‘自由と解放’の理想を掲げて闘争した学生運動も下火となり、学生運動が、非現実的で観念の世界であったことに気づき、人生の夢も醒め始めました。
‘自由と解放’の理想は、若者たちの結婚と性の意識を変え、未婚の男女が、一緒に暮らす「同棲」という生活形態を生みました。
「同棲」という言葉が、流行った時代(40年後のいま死語かも)、当時はまだ封建的な社会の名残(なごり)もあa0212807_1819210.jpgり、社会も家族も「同棲」を認めるはずもなく(とくに親は娘の同棲を認めるはずはなく)、「同棲」は不道徳で反社会的な行為でした。
若い男女が、恋をして情熱のまま一緒に暮らしたものの、社会の厳しい現実の前では、愛だけで、やさしさだけで、生きていけないと日々の暮らしに埋没していく中で二人の愛の暮らしにも終わりが訪れました。
「神田川」の背景にある悲哀の情感は、この詩を書いた作者である喜多條忠の人生そのものであったのだろうa0212807_18225462.jpgと推察します。
南こうせつは、友人の喜多條忠に作詩を依頼していましたが、寡作な彼から、なかなか詩が届かずヤキモキしていました。
ある日のこと、喜多條忠から南こうせつのもとに「詩ができた」との電話が入りました。
今と違い1970年代は、原稿は郵送してもらうか、電話で原稿を読みあげてもらい聞き取りながら筆記する方法のどちらかしかありませんでした。
早く詩を知りたい南こうせつは、電話の喜多條忠に詩の朗読してもらい、それを聞きながら紙に書き取りました。
a0212807_0351476.jpg南こうせつは、詩を聞き取りながら同時に「神田川」のメロディが、自然と流れていたそうです。
やがて喜多條忠は、作詞家として多忙を極めるようになりました。
それから数年後、彼の妻は、二人の子供を喜多條忠のもとに置いて家を出て行きました。
人気作詞家となり全盛期であったにもかかわらず、彼は作詞家の仕事をあっさり捨ててしまいました。
息子は、30才を過ぎたころ、父喜多條忠に‥全盛期に仕事をきっぱり捨て去れた理由をたずねました。
父は、息子に「オレは、仕事よりお前たちの弁当を作るほうを選んだ」と答えたそうです。
(付録)神田川の水源は、井の頭公園の「井の頭池」(上に写真4枚添付)にあり、近くの吉祥寺駅界隈(かいわい)の賑わいからは、想像できないくらいに自然の多い公園です。
by blues_rock | 2012-07-05 00:35 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)