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心の時空

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a day in my life

西行と璋子(たまこ) ‥ 長い余話(第五話)

中公文庫「日本史を読む」から少し興味深い箇所を引用したいと思います。
璋子は、第72代天皇であった白河法皇から第77代天皇の後白河法皇まで、ひとりの女として、時に母として深く関わりました。
白河法皇は、璋子を寵愛していましたが、他にも中宮(皇后)・女御(側室)から白拍子(高級娼婦)に至るまでたくさんの女性がいました。
さらに「日本史を読む」によると法皇には、男色の嗜好もあったようで、白河院には舞踊人・稚児・北面武士などの美少年・若者たちが集いました。
余談ながら、関白忠実の次男頼長も、有名な男色家でした。
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頼長は、関白になってからも自分の男色嗜好を隠すことはなく、堂々と自分の日記「台記」に様々な男たちとの色事を包み隠さず記録していました。
平安時代の宮廷恋愛事情は、権力者(皇族・公家の男性)のほとんどがバイセクシャルで、女性が対象の場合は、正室に家柄・血筋の良い資産家(大荘園主)の娘を娶(めと)り、財力により複数の側室を囲い、彼女らに家の跡を継ぐ男子と天皇家への入内が叶う女子をできるだけたくさん産んでもらうこと(婚姻は血統書付の生殖‥家柄ブリーダーのようなもの)でした。
当時の風俗を記録した資料(個人の日記)によると、対象が男性の場合に初めて恋愛の延長線上にある性愛の享楽(アミューズメント)が成り立っていたようで、今の私たちの考えるゲイやホモセクシャルの概念とは違い、宮中においては、もっと一般的で普通の営みでした。         (下写真 : 関白藤原忠通、頼長は弟)
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紫式部が、書いた源氏物語の「雨夜の品定め」など‥さしずめ立烏帽子(たてえぼし)の若君たちが一室に集い、酒肴に興じながら宮中の姫君たち・女房たちのウワサ話や夜這して関係した女性たちの品定め‥艶話・悪口などで盛り上がった酒宴の情景が目に浮かぶようです。
紫式部は、光源氏の赤裸々な女性交遊は、微に入り細に入り書きましたが、男色(衆道)については一切触れていないので、彼女にとって衆道は、おぞましかったのか興味がなかったのか、いずれにしても関心の対象外だったと推察されます。
「日本史を読む」では、関白忠実が、主である白河法皇の願望した璋子と長男忠通との婚姻話をなぜ受諾しなかったのか、その理由が詳しく書かれています。
a0212807_21501421.jpg璋子について、関白忠実は、日記で「奇怪なる聞こえ」・「凡そ種々聞こえあり」・「実に奇怪不可思議の人」・「乱行の人」と彼女の素行の悪さを手厳しく非難しています。
この“奇怪なる”とか“乱行”とか、忠実が日記に書き残した言葉に、白河法皇と璋子との只ならない関係を暗示し伝えていると思います。
璋子が、5才のとき53才の白河法皇の養女となり年齢差48才の義理の父娘(おやこ)となり、その時から法皇は、璋子を片時も離さず可愛がり、璋子も法皇に甘えました。
璋子が、床に就く時には、法皇は添い寝をして懐に幼い璋子を入れて温めてあげていたそうです。
歴史学者(古代学)角田文衛教授(1913~2008)の著書「待賢門院璋子の生涯」(1975)によると、璋子は13才で初潮を迎えたという当時の記録があると書いています。
神道で女性の生理は不浄のものであり、神道の祭祀を司る天皇家では、女性が生理になるとその穢(けが)れのために宮中から出て、実家へ戻りお清めしなければなりませんでした。     (下写真 : 晩年の西行)
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中宮璋子の実家は、白河院でしたので璋子と法皇との関係は、璋子入内後も続いていました。
璋子は、5才から溺愛されてきた初老の白河法皇と新婚ホヤホヤながら自分より2才若い夫の15才の少年鳥羽天皇との間を行き来していたことになります。
当時の宮中では、暮らしていた女性たちの生理(宮中出入り)を記録する女官がいて、その記録が、資料として今に残されています。
関白忠実は、長男忠通と璋子との婚姻を拒否したものの璋子が、鳥羽天皇に入内することになると「入内 日本第一の奇怪事」と悪評しました。
鳥羽天皇と中宮璋子との間に晴れて長男皇子が、誕生したものの、璋子と法皇との関係を知っていた鳥羽天皇は、長男皇子をわが子と認めず「叔父子(おじご、祖父の子供なので叔父の意)」と呼んで忌み嫌いました。
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やがて鳥羽天皇は、上皇となり、叔父子と呼んだ長男皇子を第75代 崇徳天皇にしました。
待賢門院璋子は、法皇(=義父・愛人)・上皇(=夫)・天皇(=子供)との間を屈託なく行き来しながら暮らしていました。
璋子とは、皆仲が良く、とくに白河・鳥羽・璋子の三人は、一緒に寛ぎながら歓談することもあったとか‥一介の衆生には、高貴な公家方のアタマの中を計り知ることができません。
当時北面武士であり天才歌人と誉れ高い18才の佐藤義清(後の西行)が、どれほど34才の中宮璋子に横恋慕し、恋い焦がれても璋子の数多の男性関係から考えて、義清に出る幕は、ありませんでした。
佐藤義清は、23才のとき出家して名を西行と改め、吉野に入り草庵で暮らしながら四季を愛でながら、桜に璋子を想い合わせながら、数多くの優れた和歌を詠みました。(第六話、最終回に続く
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            春風の  花を散らすと  見る夢は    さめても胸の  さわぐなりけり
by blues_rock | 2012-06-11 00:19 | 人生/愛(Love) | Comments(0)