ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

碌山美術館 ~ 長野県の美術館

a0212807_2120560.jpg長野県には、別荘地や観光地が多いので、県外からの来訪者向けに個性的な美術館(個人コレクション)が、沢山あります。
私個人は、そんなタイプの個人コレクション美術館にあまり興味なく、長野県の美術館といえば、安曇野(穂高)の碌山美術館、上田の信濃デッサン館と無言館(戦没画学生慰霊美術館)くらいです。  (上写真:碌山美術館)
碌山美術館は、穂高の出身で夭折した彫刻家荻原守衛(1879~1910没、号碌山)の作品を中心に、生前彼と親しかった彫刻家たち‥高村光太郎・戸張孤雁・中原悌二郎の作品を展示しています。
a0212807_21214067.jpgレンガを積み上げて建てられた教会のような美術館は、蔦が絡まり、安曇野の景色に溶け込んで美しく趣(おもむき)がありました。
中でも恋い焦がれた相馬黒光(1876~1955)をモデルに制作したと言われる「女」は、近代日本彫刻の最高傑作と思います。
黒光は、中村屋の裏で暮らし出入りする碌山の自分への思慕の情(恋)を知りながら、碌山を受け入れることはありませんでした。
碌山(享年30才)が、喀血して亡くなると黒光(当時34才)は、人前も憚(はばか)らず毎日泣き続けました。
彼女は、碌山最期の作品「女」(上写真:重要文化財)を見たとき「胸はしめつけられて、呼吸は止まり‥自分を支えて立っていることが出来ませんでした。」と後日しみじみ語っています。
信濃デッサン館は、古刹前山寺参道の横にあり、塩田平を一望のもとに見晴らせる場所にあります。
a0212807_21241148.jpg元画商で作家の窪島誠一郎が、私財を投じて設立した小さな美術館ながら、彼の愛する夭折の画家たちである村山槐多・関根正二・松本竣介・野田英夫・愛光などの絵画コレクションは、充実しています。
信濃デッサン館から徒歩で10分くらいの山の奥にヨーロッパ中世の僧院のような佇まいで無言館はひっそりとあり、太平洋戦争で強制徴兵され、国のためだと過酷な前線に送られ、戦地で絶望と無念のうちに死んでいった戦没画学生(画家)30数名の遺作・遺品が、展示されています。
自分も徴兵され戦地で画学生仲間を失った画家野見山暁治(戦没画学生画集「祈りの画集」編纂)と信濃デッサン館主窪島誠一郎の二人が、自らの鎮魂のため全国の戦没画学生の遺族を訪ねて蒐(あつ)めた遺作・遺品なので、ただ無言で見ているだけで目頭が熱くなってきます。                       (上写真:相馬黒光と娘俊子のインド民族衣装サリー姿)
このことについては、2011年11月24日のブログ「無言館の戦没画学生」をご覧ください。

  「萩原守衛」     詩:高村光太郎
a0212807_21533696.jpg
単純な子供萩原守衛の世界観がそこにあった、抗夫、文覚、トルソ、胸像
人なつこい子供萩原守衛の「かあさん」がそこにいた、新宿中村屋の店の裏に
巖本善治の鞭と五一会の飴とロダンの息吹とで萩原守衛は出来た
彫刻家はかなしく日本で不用とされた
萩原守衛はにこにこしながら卑俗を無視した
単純な彼の彫刻が日本の底でひとり逞しく生きてゐた
ー原始、ー還元、ー岩石への郷愁、ー燃える火の素朴性
角筈の原つぱのまんなかの寒いバラック
ひとりぼっちの彫刻家は或る三月の夜明けに見た
六人の朱儒が枕もとに輪をかいて踊つてゐるのを
萩原守衛はうとうとしながら汗をかいた
粘土の「絶望」はいつまでも出来ない
「頭がわるいので碌なものは出来んよ」
萩原守衛はもう一度いふ、「寸分も身動きが出来んよ、追いつめられたよ」
四月の夜ふけに肺がやぶけた
新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして萩原守衛は血の塊を一升はいた
彫刻家はさうして死んだー日本の底で   (昭和11年 高村光太郎)
by blues_rock | 2012-04-13 00:13 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)