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心の時空

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a day in my life

茨城県立近代美術館 ~ 中村彝(つね)のアトリエ

茨城県水戸市千波湖のほとりに、茨城県立近代美術館はあります。
a0212807_21554020.jpgこの美術館には、水戸出身の中村彝(1887~1924没、享年37才)の作品8点が展示されています。
さらに美術館敷地内には、中村彝が、まさに血を吐きながら(結核で病死)絵を描いていた新宿下落合のアトリエを移築し復元され、彼の遺品・資料が展示されています。
小さなアトリエの中で、彼の愛用した画材道具を見ていると、この夭折の画家の生前を偲ぶことができます。
a0212807_2201177.jpg1911年中村彝は、新宿中村屋の主人相馬愛蔵・黒光(こっこう、本名良)夫妻の厚意により、中村屋の裏にあったアトリエに住み、相馬夫妻の長女俊子をモデル(1913~14年)に多くの秀作を遺しました。
荻原守衛(碌山)は、4才年長であった相馬黒光に身を焼くような恋をし、そして中村彝もまた娘の相馬俊子に激しい恋をしました。
二人とも叶わぬ恋でしたが、相馬黒光・俊子の母娘(おやこ)は、二人の才能ある芸術家のミューズとして創作のインスピレーションと情熱を与えました。
余談ながら二人の悲恋の内幕は、ロマンチックなものではなく、芸術と嫉妬の情念の中で、それこそ血を吐くような修羅場だったようです。
a0212807_2243257.jpg事実二人とも失恋の苦悩によるものかどうか分かりませんが、ともに大量の血を吐いて亡くなります。
1910年荻原碌山31才、1924年中村彝37才でした。
当時、パンの製造販売(クリームパンは新宿中村屋の発明)で成功した中村屋にサロンができ、裏のアトリエには、彫刻家の荻原碌山・中原悌二郎・戸張孤雁なども滞在して近代日本彫刻のすぐれた作品を数多く制作しました。
新宿中村屋の相馬夫妻は、社会思想家や外国の亡命者‥インド独立運動家ビハーリー・ボース、ロシアの社会主義者エロシェンコなどを密かに支援していました。
ボースは、長女俊子と結婚し日本に永住‥新宿中村屋の喫茶部のメニューにカレーを入れました。
エロシェンコは、ロシアからの亡命者で盲目の詩人でもありました。
中村彝は、中村屋のサロンで、エロシェンコを紹介され彼の代表作「エロシェンコ像」(国立近代美術館蔵)を描きました。
中村彝は、自画像も多く残しています。
a0212807_2281767.jpgとくに、「頭蓋骨をもてる自画像」(大原美術館所蔵)は、自画像絵画の傑作です。
茨城県には、明治時代の日本画に縁の深い五浦(いずら)海岸があり、五浦で仕事をした日本画家たちの一人横山大観(1868~1958)の作品が、茨城県立近代美術館に8点所蔵されています。
2001年(平成13年)に開催された「田園シンフォニー山口薫の芸術展」(山口薫大回顧展)だけは、当時兵庫県尼崎市に住んでいましたが、どうしても見たくて水戸まで出かけました。
本当にすばらしい山口薫の回顧展で、見に来て本当に良かったと心底思い感動しました。
大回顧展だけあって数多くの作品が、美術館の広い会場いっぱいに展示されていました。
美術館内の展示室をウロウロしながら長い時間かけて山口薫の絵一点一点をじっくり見て回りました。
とくに好きな絵の前では、顔を画面に近づけ見入り、遠ざかってはいつまでも眺めていましたで、部屋の片隅にいる監視員も、私を警戒していつもの居眠りができずに、その不満からか、私の方を胡散臭そうにじっと監視していました。
山口薫については、昨年秋(2011年10月25日)のブログ「詩を描く画家‥山口薫」に書きましたのでご参考にしていただけると光栄です。
by blues_rock | 2012-04-12 00:18 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)