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心の時空

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a day in my life

東京国立博物館 ‥ 大琳派展(尾形光琳生誕350年)

上野の森で見た展覧会で忘れられないのが、2008年の大琳派展です。
尾形光琳生誕350年を記念して「大琳派展」が、東京国立博物館(平成館)で開催されました。
本阿弥光悦・俵屋宗達から尾形光琳・乾山兄弟そして酒井抱一・鈴木其一師弟に到るまでの琳派300年譜系の展覧会です。
◇ 俵屋宗達作:国宝「風神雷神屏風図」(1624年)‥「風神雷神屏風図」の原本、桃山時代に始まり江戸時代末期まで250余年続く「琳派」の象徴(シンボル)とも云える絵図です。(京都建仁寺蔵)
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◇ 尾形光琳作:重要文化財「風神雷神屏風図」(1710年)‥86年後、敬愛する俵屋宗達の原本を時間と手間をかけて正確に複写、光琳の宗達に対する畏敬の念が良く表れています。(東京国立博物館蔵)
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◇ 酒井抱一作:「風神雷神屏風図」(1821年)‥光琳作のさらに111年後、光琳複写図を模写、俵屋宗達の原本は見ていないようです。(出光美術館蔵)  鈴木其一は、酒井抱一作の風神雷神屏風図を見て模写しました。
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琳派の人気は高く混雑した展覧会でしたが、日本美術のシンボルというべき琳派芸術の見事な展覧会でした。
とくに俵屋宗達の「風神雷神屏風図」、尾形光琳が心酔した俵屋宗達の同屏風図を模写した尾形光琳作「風神雷神屏風図」、その光琳模写の同屏風図に大きな影響を受けた酒井抱一作の「風神雷神屏風図」、酒井抱一作同屏風図を手本にした抱一の愛弟子鈴木其一の「風神雷神屏風図」と4枚の「風神雷神屏風図」が、一堂に並んだのは圧巻でした。
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2006年9月出光美術館(丸の内)の特別企画「風神雷神屏風図」展で、宗達・光琳・抱一3枚の「風神雷神屏風図」が並んだのは66年ぶりだったとか‥大琳派展で4枚の「風神雷神屏風図」が、一堂に並ぶのは画期的なことでした。
本阿弥光悦(1558~1637、79才没)と俵屋宗達(生没年不詳、1580~1643推定)とは共同制作の作品が数多くあることから、この二人の天才は、同じ時代を生き親しい間柄で、相当の交流があったと推察します。
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本阿弥光悦は、刀剣を家業とする本阿弥家に生まれますが、早く出家し徳川家・朝廷との関わりも深く、京都洛北に本阿弥一族や町衆・職人たちと光悦村を造り、終生美術工芸の制作に励みました。
制作依頼(と交流)が、公家・武士・僧など広範におよび本阿弥光悦は「天下の重宝」と称賛されました。
俵屋宗達は、京都で「俵屋」という絵画工房を営み、主に扇絵を制作し販売していました。
a0212807_23584847.jpgその俵屋宗達天性の画才を見出したのが、本阿弥光悦でした。
俵屋宗達の迫力ある作品を見て、天才本阿弥光悦は、俵屋宗達の天才ぶりに感動しました。
光悦は、茶の湯について千利休を批判し、古田織部を師として茶の湯を学びました。
そのことは、彼が作陶した赤楽・黒楽茶碗に見る個性とセンス溢れる数々の名碗で理解できるように思います。
本展には、本阿弥光悦の名碗「黒楽茶碗銘雨雲」・「赤楽茶碗銘峯雲」・「飴釉楽茶碗銘紙屋」が展示され魅入ってしまいました。
千利休の茶の湯「侘び茶」は、長次郎の黒楽茶碗で表現されています。
イタリアルネッサンス期と同じ時代、戦国争乱の日本にあって本阿弥光悦の書・陶・漆や俵屋宗達の絵が、日本に存在していたことに感激します。
by blues_rock | 2012-04-09 00:21 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(6)
Commented by エイジ at 2014-04-23 14:58 x
日本画は立体感のある表現がないのは どうしてなんですかねぇ~
Commented by blues_rock at 2014-04-23 21:50
私の推察ながら古代の日本人の美意識が、生活の場にある‘道具を美しく装飾’するためのものだったからではないでしょうか?
絵師が、襖を美しく装飾(デザイン)し、家具調度・文机・日用道具類に至るまで蒔絵を施し平面を飾りました。
浮世絵・水墨画も遠近法を無視した大胆なデフォルメで平面として描きました。
日本人の美意識に立体の概念が入るのは、明治以降で文明開化による西欧油彩画の影響によるものと推察します。
Commented by エイジ at 2014-04-24 16:36 x
光悦のわざと 引き裂いたような切れ目のある茶碗が好きなんですけど、欧米の完成度の高い構築美とは正反対で、そして欧米の論理的な説明力とも真逆な、見る人の美意識を信頼して疑らない、そんな光悦の茶碗が大好きです。
Commented by blues_rock at 2014-04-25 00:58
私も同感です。 利休が自刃したのは1591年、本阿弥光悦が生まれたのは1558年、33年間同じ京都に暮らしながら二人の間に交際はありません。 なぜなのか‥興味があります。 ‘楽’の作陶は長次郎より本阿弥光悦のほうが早く作陶センスも優れていると思えるのに利休は、長次郎作の純朴な楽焼を愛でました。
光悦の才能を利休が嫉妬したのか、光悦のもつ琳派の芸術性を利休が嫌ったのか、光悦が利休の侘び茶を無視したので遠ざけたのか、桃山時代に生きた自由人の美意識と感性は多くのことを教えてくれます。
Commented by エイジ at 2014-04-25 20:31 x
実は 自分のブログで光悦について書こうとしても どうしても言葉が思い浮かばなくて 完全の行き詰ってしまったんですけど 今までに「なるほど!」と感心した 論評のようなものを読んだことがありますか?
Commented by blues_rock at 2014-04-25 22:38
本阿弥光悦についての詳しい資料は少なく私の場合、ウィキペディアによる情報の範囲を出ず、お力になれなくてすみません。
本阿弥光悦が今に遺した見事な作品により光悦の天才を推察するしかないようです。
芸術家の魂は作品に宿り、作品は芸術家の魂を後世に運ぶ道具(タイムカプセル)と思います。
時空を超えて過去から来た道具(つまり作品)の中に魂を感じるか否かは、専ら見る人に委ねられていると思います。