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心の時空

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a day in my life

古賀春江 ‥ 大正モダンの前衛絵画

古賀春江(1895~1933、享年38才)の絵を初めてみたのは、小学生の時でした。
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福岡県久留米市の石橋美術館は、田舎の子供にとって本物の絵画、とくに油絵を見ることのできるただ一つの場所でもありました。(上写真:川端康成が所有していた絵「煙火」1927年)
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古賀春江は、日本洋画壇にあって非常に個性的で、子供心に「素朴な月夜」・「海」・「鳥籠」・「単純な哀話」・「現実線を切る主知的表情」などの彼の絵は、美術館にある他の写実的な絵や浪漫派絵画とは、明らかに異なってa0212807_22161536.jpgいました。
そして、自分で絵を描くようになり、美術誌や画集を見て、古賀春江が、生きた大正と言う短い時代の歴史的背景も分かってきました。
その時代に日本にも自由な表現のできる近代モダニズムの感受性をもった前衛画家がいたことに驚きました。
久留米市の浄土宗善福寺に生まれた古賀春江は、自分の絵画に仏教的精神性を強く求め、表現方法もキュビズムからシュールレアリスムへと変化していきました。
古賀春江が、最も強い影響を受けたのが、パウル・クレーで、水彩画・油絵ともに詩的で寓意的なすばらしい絵を数多く残しています。
a0212807_1203478.jpgその後、彼は商業美術(グラフィック・デザイン)に興味を持ち、仕事として関わることでマグリッドを思わせるような作品を残しました。
若いころ、同居していた友だちの自殺による精神的なショックや自分の神経症の悪化もあり衰弱し病に倒れ38才の生涯を閉じました。
当時すでに石井柏亭(画家・美術評論家)・古賀政夫(作曲家)・川端康成(作家)などは、古賀春江の才能を認め支援していました。
1931年に川端康成は、古賀春江と出会い、彼の才能を高く評価していました。
二人の交友は、古賀春江が、亡くなるまでのわずか2年という短い期間ながら川端康成は、古賀春江の才能を高く評価し、古賀春江の絵画をとても愛していました。
by blues_rock | 2012-03-29 02:08 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)