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心の時空

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a day in my life

日本人藤田嗣治とフランス人レオナール・フジタ

先日、モディリアーニを書いていたら、福岡市美術館で開催された「レオナール・フジタ展」を思い出しました。
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レオナール・フジタこと藤田嗣治(1886~1968)は、日本人洋画家として世界で最も有名な人です。
だが、彼が日本人であったのは、日本に別れを告げた1949年まででした。
a0212807_21153158.jpg彼は、若くしてエコール・ド・パリの花形画家となり、乳白色のマチエールに面相筆で描いた裸婦像は、当時のパリで一世を風靡しました。
モンパルナスでは、となりの部屋にモディリアニが住み、同じアパルトマンに住むスーティンともども仲良しでした。
友人は、ピカソ・キスリング・パスキン・ルッソーなど個性的な画家たちばかりでした。
今回の展覧会で見た最初の絵(デッサン)は、モディリアニそっくりで、なるほどなと彼の友人モディリアニへのオマージュを感じました。
藤田嗣治が、戦争中従軍画家として戦争画を描いたことと、すでにヨーロッパを始め世界的に有名な画家となった彼への羨望(やっかみ)や嫉妬(ジェラシー)で戦後の日本画壇は、彼を拒絶しました。(一緒に従軍画家として戦地に赴いた小磯良平は、糾弾されることもなく日本洋画壇の巨匠として大成しました。)
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それならばフランスに戻ろうと、1949年(昭和24年)彼は、祖国の日本に永遠の別れを告げ、1955年フランスの国籍を取得し、1959年にはキリスト教カトリックの洗礼を受けて、1968年スイスで亡くなりました。
a0212807_212054100.jpg今回の展覧会で初めて晩年のレオナール・フジタの作品をまとめて見ることができたのは、ラッキーでした。
私自身は、エコール・ド・パリ時代の作品のほうが、やはり好きでした。
ともあれ70才は、当に過ぎている年齢で、あれほど多数の作品を描き上げた情熱と技術に驚き尊敬しました。
日本人画家藤田嗣治としての偉業は、なんと言っても秋田県立美術館(平野政吉美術館)にある1937年の大作「秋田の行事」と思います。
大展示室にある横20.5メートル、縦3.65メートルという途方もないサイズのキャンバスに、秋田の行事や風物詩を描いた油彩画で見ていて圧倒されました。
まわりに、1930年代の作品「町芸人」・「眠れる女」・「チンドンヤ」・「五人女」・「自画像」・「北京の力士」・「那覇の客人」などが展示され、画家として円熟した藤田嗣治の才能とエネルギーを感じました。
秋田県立美術館(平野政吉美術館)の藤田嗣治コレクション(総数101点)は、有名で充実しています。
藤田嗣治が、日本で制作した作品をまとめて所蔵展示していることから「藤田嗣治美術館」とも言えます。
by blues_rock | 2012-03-24 00:00 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)