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心の時空

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a day in my life

モディリアーニ

a0212807_011299.jpg今夜は、享年35才の若さで亡くなった天才画家アメデオ・モディリアーニ(1884~1920)について書きます。
モディリアーニは、イタリア出身のユダヤ人画家で、20世紀初頭のパリで活躍、エコール・ド・パリの代表的な画家です。
イタリアで彫刻を学び、美術学校を卒業後パリへ行き、彫刻家を志しアフリカの民族美術などに強い影響を受けました。
当時、モディリアーニが制作した彫刻やエスキース、彼が描いた多くのデッサンからすでにモディリアーニ独自の美しいフォルム(造形)を感じ取ることができます。
フォルムの単純化にこだわった彼の美意識は、やがて天才画家モディリアーニを生みました。
彫刻家であったモディリアーニは、30才を過ぎた1915年頃から絵に専念し、1920年病気で亡くなるまでのわずか5年間に多くの傑作を残しました。
a0212807_054522.jpg画商レオポルド・ズボロフスキーの友情と支援もあり、モディリアーニが描いた絵は、すべて彼が引き取る対価として、画材や生活費などの面倒をみてもらいました。
モディリアーニは、エコール・ド・パリの画家とも交流があり、とくにピカソとは、お互い認め合う友人でライバルだったようです。
モディリアーニの代表作・傑作のほとんどが、1916年~1919年の3年間に集中して制作されています。
モディリアーニの描いた絵画は、油彩による人物画が多く、風景画はわずか3点でした。
人物画の顔・首・手足は、長く美しくデフォルメ(変形)され、目に瞳を描かない場合が多く、明らかに、彼が学んだアフリカ彫刻の影響を感じます。
生前の1917年、亡くなる3年前にモディリアーニは、一回だけ個展をしました。
彼の描いた大胆な裸婦像が、風俗を乱すと大騒ぎとなり、わずか一日で作品を撤去させられました。
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a0212807_0105453.jpgこのころモディリアーニは、妻となる若い画学生のジャンヌと出会い恋におち、彼女をモデルに多くのすばらしい作品を描いています。
生活は、貧しく持病の肺結核に苦しみ、咳を止めるために飲む酒と薬物依存により、次第に持病が悪化し衰弱、35才で亡くなりました。
妻ジャンヌは、モディリアーニと出遭い3年、すでにモディリアーニとの間に一児(娘)がありました。
モディリアーニが、亡くなった時、ジャンヌは第二子を妊娠しており、9か月の身重でした。
熱愛していた夫モディリアーニの死にジャンヌは錯乱し、人生に絶望しました。    (写真:アメデオ・モディリアーニとジャンヌ・エビュテルヌ)
a0212807_0113654.jpgモディリアーニが、亡くなった二日後、ジャンヌは、モディリアーニの後を追うように自宅アパートの5階から飛び降り自殺しました。
ジャンヌの両親は、モディリアーニと一緒に埋葬することを許さず、10年後になってようやく二人は一緒に埋葬されました。
二人のロマンスは、映画にもなりジェラール・フリップとアヌーク・エーメが、主演した「モンパルナスの灯」(1958年)は、有名です。
2004年には、アンディ・ガルシアが、映画「モディリアーニ/真実の愛」で、モディリアーニを演じました。
(参考)
モディリアーニについては、2011年7月31日ブログ「モディリアーニとヴラマンク」でも書いていますのでご覧いただけるなら光栄です。
by blues_rock | 2012-03-13 00:28 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)