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心の時空

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a day in my life

東京の美術館(上野) ‥ 東京藝術大学大学美術館

明治20年(1887年)、フェノロサと彼の盟友岡倉天心が、創立した東京美術学校時代から東京藝術大学(美術学部)の芸術教育と研究のために芸術資料2万8,000件(国宝・重要文化財22件含む)を所蔵した芸術資料館を、平成10年(1998年)に広く一般公開するために「東京藝術大学大学美術館」となりました。
a0212807_2245259.jpgアメリカ人(ボストン出身)のアーネスト・フェノロサ(1853~1908)は、東洋美術史家・哲学者として東京大学で教鞭をとり、岡倉天心・狩野芳崖と親しく交流する中で、日本の伝統美術に深く傾斜していき、仏教に帰依するまでになりました。(彼の墓は、滋賀県大津の三井寺にあります。)
フェノロサ(右下写真)は、明治維新の暗部(文化政策の失敗)である過度に西洋文化・文明を崇拝する風潮の中で、ゴミのように見捨てられた日本の古美術品を高く評価し、研究を進め世界に広く紹介した日本伝統美術の恩人として、今では高く評価されています。
a0212807_22455334.jpgとくにフェノロサが、岡倉天心たちと共に行った京都・奈良での古社寺宝物調査では、日本の文化財保護の法律制定を訴え、彼は国宝(National reasures)の概念(と価値)を教えました。
明治維新の愚策「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」は、多くの古刹・仏像・仏教美術を破壊し廃棄しました。
1890年ボストンに帰ったフェノロサは、ボストン美術館東洋部長に就任、日本美術の収集に努めます。
ボストン美術館は、日本美術の優品を多数所蔵「平治物語絵巻」・「尾形光琳襖絵松島図」・仏像・浮世絵など‥中には、国宝級もあり、日本美術を国外(アメリカ)に流出させたとの批判もありました。
しかし、フェノロサは、120年前に当時の日本人が、日本の伝統美術品をゴミ同然に扱い、放棄していたもの拾い上げ、大事に保存しました。
そして、アメリカに持ち帰り、120年後の現在もボストン美術館で大切に保管され、フェノロサの日本美術を愛した熱い想い(フェノロサの魂)が、生き続けていることに感謝いたします。
a0212807_224757.jpg当時の東京美術学校では、日本の伝統美術復興をめざす岡倉天心(左写真)の教育方針から、学生のための参考資料として古美術品を多数収集しており、併せて東京美術学校として歴代教官の作品、学生の卒業制作作品などを収蔵してきました。
中でも、東京美術学校~東京藝術大学の西洋画科で学んだ学生たちの残した「自画像」コレクションは、たいへん興味深く、同美術館の「自画像展」で見た有名画家たちが、当時まだ画学生(画家の卵)であったころ描いた自画像をその後の作品と重ね合わせて見るとおもしろいと思います。
東京藝術大学美術学部の卒業生で画家になった人は意外に少なく、画家となり、さらに有名な画家になって、見る人(あなた)の心をドキドキさせ、胸をときめかせる作品を描いた画家は、何人いるでしょうか?
そんな好奇心をもって東京藝術大学大学美術館に所蔵されている作品を見ると感動は、自分の心の中にあることに気づくでしょう。
by blues_rock | 2012-02-29 00:41 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)