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心の時空

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a day in my life

レオン・ラッセル ‥ スワンプ・ロックの伝道師

レオン・ラッセル(1942~)の「ソング・フォ・ユー」を初めて聴いたのは、いつだったか‥声を絞り出すような歌い方、哀愁ある歌声、ソウルフルな彼の情感にひと目惚れならぬ、ひと耳惚れでした。
すぐ1stアルバム「レオン・ラッセル」(1970)を手に入れ、きちんと聴いたところ「ソング・フォ・ユー」・「タイトロープ」・「マスカレード」など名曲がずらり収録されていました。
ボブ・ディランの名曲「ミスター・タンブリンマン」が、ザ・バーズのカバーで大ヒットしたとき、レオン・ラッセルは、ピアノで参加していました。
彼は、若い時からシンガーソングライター、セッション・ミュージシャン、プロデューサーと音楽的に多才でした。
a0212807_150996.jpgキャロル・キング、デラニー&ボニー、フィル・スペクター(名プロデューサー)などのそうそうたる才能との交流で刺激されたのか、次第に自分のルーツ音楽を求めました。
とくに、デラニー・ブラムレット(デラニー&ボニー)と出会いは、出身地オクラホマのゴスペル・ブルース・カントリーが、融合した音楽(スワンプ)に自分の音楽のルーツを見出し、デラニーとの音楽交友で、やがてスワンプロックと呼ばれる新しいロックをつくり、多くのロックミュージシャンに影響を与えました。
イギリス人プロデューのサーデニー・コーデル(プロコル・ハルムの名盤「青い影」のプロデューサー)は、レオンの才能に惚れ込み、1970年イギリスで彼のソロデビュー・アルバムの録音とプロデュースをしました。
レオン・ラッセルの1stアルバム「レオン・ラッセル」には、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、スティーブ・ウィンウッド(トラフィック)など最高のメンバーが集まり、アルバム収録に参加しました。
彼の人柄と人望によるものながら、当時のロックシーンでの人脈が、いかに広かったか想像できると思います。
このアルバム「レオン・ラッセル」を発表するために、レオンとデニーは、自分たちの新レーベル「シェルター(隠れ家)」を立ち上げました。
a0212807_275846.jpg「シェルター」は、才能があってまだ知られていないロックミュージシャンたちを、次々にロックシーンに登場させていきました。
そのリーダー的役割を果たしたのが、年長で才能もあり人望厚かったレオン・ラッセルでした。
ジョー・コッカー(マッド・ドッグス&イングリッシュメン)、JJ・ケイル、トム・ペティー(ザ・ハートブレイカーズ)など大勢のロックミュージシャンを育てました。
レオン・ラッセルは、ジョージ・ハリソンが提唱した「バングラディッシュ難民救済コンサート」に参加、このコンサートには、レオンの要請に応えてボブ・ディランも参加しました。
彼のプロデュース活動は「シェルター」レーベルを有名にしましたが、レオン・ラッセルの音楽活動は、あまり目立たなくなっていきました。
レオン・ラッセルの曲は、ジョージ・ベンソン(マスカレード)、カーペンターズ(スーパースター)ほか、いろいろなミュージシャンたちにカバーされ大ヒットしましたが、彼自身は「シェルター(隠れ家)」で静かに、他のミュージシャンの音楽をプロデュースしていました。
by blues_rock | 2012-02-16 01:14 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)