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心の時空

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a day in my life

児島善三郎の風景画

児島善三郎(1893~1962、69才没)は、博多出身の画家です。
地元の画家ということもあって、意外なところで絵を見る機会がありました。
私が、農協の全国団体に就職したばかりのころ、赴任した福岡の職場の壁にかけられていた数点の絵の中に、児島善三郎の若い頃の油絵があり、ビックリ仰天したことを憶えています。
a0212807_0295177.jpg上司に、なぜ児島善三郎の絵が、ポツンと壁にかかり、ここ(私たちの職場)にあるのかをたずねました。
上司いわく‥ずっと前からここにある、何かのお祝いにもらったのだろう、あるいは消耗備品として購入したのだろうが、資産台帳に記録はない、なんで君はそんなことを訊く、と怪訝(けげん)そうな顔をされました。
この絵(油絵)は、日本洋画壇の有名な画家児島善三郎の初期の作品で、壁にかけられている他の絵とは、美術的な価値も、その価格も大きくちがうことを具体的に伝えました。
それを聞いた上司は、あわてて総務の担当を呼び、児島善三郎の絵の管理を厳重にするよう指示しました。
a0212807_0333392.jpg児島善三郎は、博多の紙問屋(現在の児島段ボール)児島本家の長男でしたので、当時から児島段ボールとは、農業用紙資材取引でお付き合いがあったようです。
児島善三郎は、旧制修猷館中学3年生の時、学校内で絵画同好のパレット会をつくり、油絵を描き始めました。
そして西洋雑誌などを購入して、西洋の絵画を勉強していました。
修猷館中学を卒業し、長崎医学専門学校薬学科(現在の長崎大学薬学部)に入学しますが、翌年には中退して好きな絵を学ぶため上京し、画家への道を歩み始めました。
老舗紙問屋の長男として生まれた善三郎は、当然のことながら家業の跡継ぎとして両親や親戚など回りから期待されていました。
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長崎医学専門学校入学は、まず家を出て画家になるための準備のようなもので、両親を諦めさせるためのカモフラージュだったようです。
上京した善三郎は、東京美術学校を受験しましたが失敗、その後彼は、独学で絵を学びました。
絵画に情熱を燃やす長男善三郎に両親もついに折れ、次男を跡継ぎとし、裕福な紙問屋だったこともあり、彼は実家の支援を受けてパリに渡りました。
a0212807_0505912.jpg当時のパリは、フォービズムの全盛時代で、その影響を受けながらも、日本の伝統的なフォルム構成と写実にこだわり、そして琳派から続く装飾的な表現など児島善三郎独自の才能を開花させ、日本の油絵を創造しました。
彼は、芸術活動と関係のない美術団体に所属せず、美術学校での肩書きや展覧会での受賞などにも生涯興味を示さず、在野のまますぐれた油絵を描き残した画家でした。
人物・風景・花などの児島善三郎の絵には、品性がありどれもワン&オンリーの美しい作品です。
風景画では、児島様式ともいえる構図に、彼の類まれな絵画センスによる色づかいと筆さばきとが相俟って、多くのすぐれた作品が生まれました。
私は、彼の描いた絵を見ていると、裕福な暮らしの中で、趣味人が至った究極の数寄の粋(センス)を感じます。
by blues_rock | 2012-02-07 23:01 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(2)
Commented by 熊倉 豊之 at 2016-09-16 13:07 x
森と聚楽 ですね                     毎日 眺めています
Commented by blues_rock at 2016-09-17 15:12
コメント、ありがとうございます。
熊倉さんは、児島善三郎のファンでいらっしゃるのでしょうか?
児島善三郎は、研ぎ澄まされたセンスで絵画の美を追求したワン&オンリーの洋画家です。
人物、風景、花‥いずれも児島善三郎にしか描けない作品ばかり、駄作がないのも特長かもしれません。