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心の時空

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a day in my life

夭折の画家三岸好太郎と天寿の画家三岸節子

三岸好太郎(1903~1934没、享年31才)と三岸節子(1905~1998没、享年93才)は、画家夫婦でした。
私は、同じ屋根の下で暮らす夫婦が、共に画家であるのは、至難の業(わざ)であろうと推察します。
a0212807_1145788.jpgさらに、お互いの絵にとっても百害あって一利なしではないかと思います。
そう考えると三岸好太郎と節子夫妻が、共に画家として美術史に名を残す質の高い絵を描いたのは、奇跡に近いと言えるでしょう。
だが、二人が夫婦として同じ屋根の下で生活したのは、短い期間でしたので、夫婦画家としての至難の業をクリアした奇跡の事例とは言えないでしょう。
妻三岸節子の人生には、女として母としての艱難辛苦(かんなんしんく)の前半生と、画家として活躍した後半生の、二つの人生がありました。
節子は、1905年岐阜県一宮市の資産家に生まれますが、彼女の人生は、いつも辛い方へ苦しい方へ展開していきました。
新進気鋭の画家三岸好太郎と恋に落ちた節子は、19歳で結婚しました。 (右、三岸好太郎「少年」1931年)
夫好太郎の自由な精神と絵の才能に惚れ込んだ妻の節子は、画家としての自分を捨て身も心も捧げました。
しかし夫好太郎の奔放な女性関係のために、結婚生活は苦しく、3人の幼子を抱え牢獄のようだったと述懐しています。   (下、三岸節子「19才の自画像」1924年)
a0212807_1155245.jpgその夫好太郎が、旅先の旅館で血を吐き倒れ、31歳の若さで突然病死しました。
それまで、自殺を考えるほど苦しんでいた節子は「ああ‥これで私は、生きていかれる」と思ったそうです。
その後、年下の画家と激しい恋をしますが、周囲の障害が大き過ぎて、お互い傷つき疲れ果て、彼女の人生は、また苦しく辛いほうへ向かいました。
60才を前に、それまでの暮らしを捨て、絵の制作に専念するため一人大磯に移り住み、夜明けとともに起き、畑仕事と絵を描くことに専念しました。
69才の時、フランスの陸の孤島のような片田舎に移り住み、農家をアトリエにして、油絵と格闘いたしました。
84才でフランスから日本に戻り、93才で亡くなるまで画家としての命の炎を燃やし続け、満開の桜の老木を描いた「さくら、さくら、さくらが咲いた(100号)」が、最後の作品になりました。
夭折の画家夫三岸好太郎は、生前「オレは、桜の花のような人生を送る」と言っていたそうですが、長寿の画家妻三岸節子は「長く生き続け、良い絵を描くことが、画家の人生だ」と反発したそうです。
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三岸好太郎と節子は、夫婦として短い縁(えにし)でしたが、画家として共に質の高い絵を遺した稀有な夫婦として語り継がれることでしょう。(上、三岸節子「魚とトウモロコシ」1961年)
by blues_rock | 2012-01-26 01:04 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)