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心の時空

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a day in my life

エリック・クラプトン ~ アイ・ショット・ザ・シェリフ

a0212807_2233279.jpg1974年、エリック・クラプトン(1945~66才)は、ボブ・マーリー(1945~1981没、享年36才)のこの曲のカヴァーでロックシーンに復活しました。
重症の薬物中毒で‥Eクラプトンは、死んだとウワサされていましたから、ニューアルバム「461オーシャン・ブールヴァード」を聴いた時、私はうれしくて感動しました。
1963年ヤード・バーズ、1965年ブルース・ブレイカーズ、1966年クリーム、1968年ブラインド・フェイス、1970年デレク&ドミノス‥とEクラプトンは、ロック音楽の歴史に重要なバンドを結成、参加していきました。
真摯なまでにブルースにこだわり、自分のギターで新しいブルースロックを生み出していくEクラプトンは、「ギターの神様」・「スローハンド(技巧が必要な早い演奏もスローに弾いているように見えたから)」と呼ばれるようになります。
a0212807_22381333.jpgビートルズの名曲「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」(1968)を初めて聴いた時‥ビートルズのリード・ギターは、Jハリスンでしたが、こんなにギターが、上手かったかなと感心したことを懐い出します。
この曲のサビであるギターの泣き(ウィープス)が上手くいかないJハリスンは、親友Eクラプトンにギターを要請、ビートルズへの参加をためらうEクラプトンに、これはビートルズの曲ではない、自分の曲だと説得してギターを弾かせたのだそうです。
この曲のギターの泣きは、1968年当時のビートルズ・メンバー個人の音楽優先とJハリスン=Eクラプトンの友情が生んだビートルズの名曲と言えます。
Eクラプトンは60年代スーパースター、70年代薬物中毒、80年代アルコール依存症、90年代最愛の息子の転落死‥と試練の多い人生を送ります。
1991年からJハリスン最後のワールド・ツアーに、愛息の死の悲しみも癒えないうちに自分のバンドを率いて参加しています。
a0212807_22394443.jpg1970年デレク&ドミノスの名曲「いとしのレイラ」は、Jハリスンの妻パティへの恋慕を歌にしたもの、Jハリスンはパティと離婚し、Eクラプトンとパティ(右の写真)は、その後結婚しました。 
「いとしのレイラ」収録には、夭折の天才ギタリストデュアン・オールマン(1947~1971没、享年24才)が、スライドギターで参加しており二人の逸材が「いとしのレイラ」で見事なセッションを遺しました。
この収録後、デュアンはオートバイ事故で死亡、享年24才の若さでした。
その悲しみもあってEクラプトンの薬物中毒は、深刻になっていきました。
これを支えたのが、パティであり、Jハリスンであり、ピート・タウンゼント(ザ・フー)など旧友たちでした。
Eクラプトンは、長い療養を経て立ち直り、それから次々に優れたアルバムと名曲を発表、66才の現在も世界のブルース&ロックをリードし世界各地でコンサートを続けています。
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チャリティ活動にも熱心で、各種チャリティ・ライブ・コンサートへの出演を始め、自分の辛い体験からドラッグ厚生施設「クロスロードセンター」を創設し運営、ブルース&ロックの音楽活動では、伝説のバンド「クリーム」を再結成し活動しています。
by blues_rock | 2012-01-02 00:46 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)