ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

マイケル・ジャクソン ‥ THIS IS IT

a0212807_2252219.jpg2009年6月25日マイケル・ジャクソンは、7月からのロンドン公演に向けリハーサルをしている最中(さなか)に、不眠症治療薬投与ミスにより急死しました。
享年50才でした。
「THIS IS IT」は、稀代のエンターテイナーマイケル・ジャクソンのロンドン公演に向けたリハーサルを映像記録した音楽映画です。
映画は、彼の50才とは思えない歌とダンスをライブ会場のプラチナ・シートにいるような感覚で、心行くまで堪能させてくれます。
マイケル・ジャクソン(MJ)について書く前に、この映画の中で偶然すばらしい女性ギタリストを発見いたしました。
「ビート・イット」のリハーサルでオリジナル「ビート・イット」のエデイ・ヴァン・ヘイレンを思わせるようなハードロック・ギターを弾いている女性が、強烈に印象に残りました。
MJが、映画の中で彼女の才能を引き出そうと熱心にアドバイスしていますので、彼はオーディションの時から彼女の才能をすでに高く評価していたのでしょう。
a0212807_22523875.jpgブロンドの髪を肩にかけ、ガムを噛みながら演奏する余裕すら見せ、ギターを腰の低い位置に据え、弦を歪ませながら右手指でタッピング演奏し「ビート・イット」を歌うMJとからむこの若い女性ギタリストは、ダレだとそればかりを気にしながら映画を見ていました。
新星女性ギタリストの名前は「オリアンティ・パナガリス」、1985年オーストラリア生まれの当時24才、サンタナに憧れ高校を中退、ロックギタリストを目指してロックギターの鬼才スティーヴ・ヴァイの前座を務めていたのだそうです。
18才のオリアンティと共演したサンタナは「誰かにギターのバトンを渡すとしたら彼女が最初の候補かな」と語ったとか、MJがリハーサルで熱を入れ彼女を指導するのも分かりました。
a0212807_22565467.jpgさて、マイケル・ジャクソンについては、今さら書くことなどありませんが、簡単に経歴を書くなら子供の頃、ジャクソン5のリードヴォーカリストとしてモータウンで活躍しました。
そしてソロとなり、1978年名アレンジャーでプロデューサーのクインシー・ジョーンズと出会ったことで、MJ天性の才能が、一気に開花しました。
1982年にクインシーが、プロデュースしたMJ最高傑作「スリラー」が発表されました。
アルバム「スリラー」は、全米チャートで37週間1位となり、1億枚以上のセールスはアルバム売上げ史上の世界記録となりました。
a0212807_22573669.jpgまた「スリラー」は話題性も多く、MJダンスの象徴ともいえるムーンウォークは「ビリー・ジーン」が最初ですし、「ビート・イット」はハードロック調で、エデイ・ヴァン・ヘイレンをギターに迎えています。
映像では「スリラー」で群舞するゾンビの特殊メイクも話題になりました。
彼の音楽ビジネスセンスも相当なもので、ビートルズ楽曲の出版権をMJが所有しており、ビートルズのポール・マッカートニーが、ビートルズ楽曲の出版権を譲って欲しいと懇願しても断ったと言いますから、音楽ビジネスの世界も複雑怪奇です。
食も細く酒もコーラも飲まず‥終生ピーターパン症候群から脱却できなかった天才的エンターテイナーで大富豪のMJでしたが、皮膚病の尋常性白斑症(俗名しろなまず)に悩み、公私にわたってスキャンダルに巻き込まれ、そのストレスからくる不眠症に苦しんだ人生でもありました。
稀代のスーパースター「マイケル・ジャクソン」が抱えるプレッシャーはストレスとなり、心やさしいMJの孤独は、次第に深まっていきました。
a0212807_2311545.jpg
心身の疲労は不眠症となり、治療のための麻酔薬処方ミスが、MJ不慮の死を引き起こしました。
MJファンからお叱り受けるかもしれませんが、私は1985年の「ウイ・アー・ザ・ワールド」に、MJの音楽才能の頂点を感じています。
ジャケットに写る参加ミュージシャンたちが、とにかくスゴイ!音楽史に残る唯一無二の記念アルバムです。
by blues_rock | 2011-12-23 00:22 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)