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心の時空

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a day in my life

現在(いま)に連なる博多の歴史

糸島半島(前原市志摩町)に、古代の歴史跡を見ようと車を走らせました。
糸島の地名は伊都志摩に由来し、歴史上かって「伊都国」のあった地といわれています。a0212807_1118768.jpg
金印で有名な「漢委奴国王印」(かんのわのなのこくおういん)の「奴国」は、福岡市に位置します。
また糸島半島の可也山の可也は、朝鮮半島の伽耶に由来していると推察されます。
博多から唐津街道を西に向かい前原で右折すると糸島半島へ出ます。
左に可也山を見ながら二見ヶ浦を目指すと玄海灘に出ます。
西浦の海岸からは、玄海灘に沈む美しい夕日を眺めることができます。
西浦崎の蒙古山から博多湾側に降りたところに唐泊漁港があり、蒙古山・唐泊のその名のとおり、古代中国に由来した地名が今も残っています。a0212807_11193546.jpg
唐泊漁港からは、右に能古島、左に玄海島、中央に志賀島(金印が出土)が、目の前に見えます。
長浜海岸(通称サンセット道路)を今宿に向かう途中に今津港があり、博多湾の中にあって今津湾は、唯一独自の名前を持っています。
鎌倉時代フビライ王朝の元が、二度にわたって日本(九州)に攻め入った元寇のことは、11月17日の「海から見た博多」で書きましたのでご参考にしていただければ幸いです。
この歴史的に有名な中国(元)との戦いで最も激戦地だったのが今津で、被害も大きく悲惨だったそうです。
今津にも元寇防塁跡があり、遠い異国の戦さで死んだ数万の蒙古人兵士たちの骸(むくろ)を不憫に思い弔ったのであろう「蒙古塚」が残されています。
今津大橋を渡り、今宿から左折し博多方面へ向かうと生(いき)の松原があり、ここでも長い元寇防塁跡を見ることができます。
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一方、博多から前原方面に向かい糸島半島に出ないで唐津街道をさらに伊万里に向かうと豊臣秀吉が、朝鮮出兵のために兵を率い本陣を置いた名護屋城跡があります。
400余年前、豊臣秀吉は、ここから朝鮮半島に出兵する多くの船団を眺めたことでしょう。
a0212807_11351534.jpg玄海灘には壱岐があり、その先に対馬そして50km向こうに朝鮮半島の釜山があります。
歴史をさかのぼり飛鳥時代には、中大兄皇子率いる倭国軍が、朝鮮半島の白村江(すきのえ)で、唐・新羅連合軍と戦い敗れました。
そして京都の防人(外交・防衛の拠点)として朝廷の出先機関である「大宰府」(右写真は大宰府跡)が設けられました。
これからも博多は、東アジアの海洋都市として新しい歴史を創っていくことでしょう。
by blues_rock | 2011-10-19 00:51 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)