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心の時空

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a day in my life

特攻隊基地「知覧」

a0212807_0183930.jpgデイサービス施設に通所されている男性高齢者の方(86)とお話をする機会がありました。
昭和20年、鹿児島県知覧の特攻隊基地から特攻隊一員として出撃したものの足に銃弾を受け、特攻ならず生き残られたのだそうです。
「アタシゃ、そん時二十歳(はたち)ばい。今じゃけん、ほんなこつ言うばってん、アタシゃ、死にとうなかったばい。まだヨメサンももらわん若さで、死にとうなかったばい。飛行機に爆弾積んで、出撃したばってん銃撃され、足にタマ食らい生き残った。」と私に話されました。
7年前亡くなった私の父も、特攻隊予科練生として知覧にいましたので、そのことをお話しすると軽い認知症せいか、また同じことを繰り返し言われます。
知覧での体験を私の父は、終生話そうとしませんでした。
十代の終わりに味わったつらく苦しい体験を思い出したくなかったのだと思います。
この方も特攻基地「知覧」のことだけは、今でも決して忘れることのできない心の傷なのだろうと思います。a0212807_0191336.jpg
「そうですか‥、ご苦労なさったんですね。」と話を続けると「アタシゃ、86才になったばい、もうよか、はよ死にたか、トモダチゃも、みんな死んでしもうた、もう死んでもよか。」と言われます。
私は話を伺いながら「○○さん、そげなこつ言わんと。そげん急がんでもよかじゃなかですか、まだお元気です、もう少し先まで行きましょう、イヤでもお迎えが来っとですから‥今生きている皆に、お迎えが来っとですから、お迎えが来るまでゆっくりしましょう、楽しく生きていきましょう‥お迎えが来ても、外で待っとれと言いましょうよ。」と息子のような年齢の私が、人生の大先輩に小生意気なことを申しあげたら、ウンウンと頷きながら笑顔で応えてくださいました。
私は知覧の特攻平和会館を2度訪ねました
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「祖国のため」と二十歳(はたち)前後の優秀な若者たちが、飛行機に爆弾と片道分の燃料を積んで沖縄の海を目指して飛び立ちました。
決死の特別攻撃つまり今の自爆テロを、カミカゼと当時の日本国民は讃えました。
知覧の特攻平和会館に残された千数十名の若者たちの写真や手紙、遺品を見ていると涙が溢れてきます。
「私くしは、死にたくありませんでした。」の御魂の叫びが、心に響いてきます。
by blues_rock | 2011-08-24 20:21 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)