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心の時空

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a day in my life

クロスロード・クラブ‥享年27才の5人

彼らは、人生をわずか27年で終えましたが、そのオリジナリティと天賦の才能(センス)で、後世のブルース&ロックミュージシャンに多くの影響を与えました。
a0212807_1245147.jpg● ロバート・ジョンソン(1911~1938)
アメリカ南部(ミシシッピィ川流域)で、黒人が奴隷としての抑圧・差別されていた時代に、魂を解放し自由への希望を託した音楽がブルースでした。
そのブルースが、生まれたその時代に、ロバート・ジョンソンの音楽人生はありました。
クロスロードで悪魔に魂を売り、超人的なギターテクニックを手に入れ、2枚の写真と29曲を残し27才でこの世を去ります。
女性関係で毒殺された、いや刺し殺された、との噂もありますが、彼には悪魔と取引したクロスロード伝説が、一番相応しいと思います。
当時の録音機器は粗末で、録音技術も当然未熟なものでしたが、残された貴重な音源からロバート・ジョンソンの超人的なギター(メロディとリズムを同時に独りで演奏)と歌を聴くことができます。
彼のギターテクニックは、その後多くのブルースやロックのギタリストたちに大きな影響を与えました。
● ジャニス・ジョプリン(1943~1970)
a0212807_1253691.jpgジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリックスは、1943年の同じ年に生まれモントレー・ポップ・フェスティバル(1967)で突然デビューし、20万人の大聴衆を唸らせ一夜にしてスーパースターになった夭折のロックシンガーとロックギタリストです。
ウッドストック(1969)が、ロック音楽史上あまりに有名で伝説になっている野外ロックフェスティバルなので、その2年前、カリフォルニア州のモントレーで開催されたポップ・フェスティバルについては、あまり知られていません。
モントレーが世界で最初の野外ロックフェスティバルと言って良いでしょう。
記録映画もウッドストックに比べモントレーの映像は映画の域にはなく、素人の録画映像と言った印象です。
当時のアメリカは、ベトナム戦争の泥沼に入り、反戦運動と厭世ムードでサンフランシスコを中心にヒッピー・サイケディリックムーブメントが盛り上がりを見せていました。
第二次世界大戦後、ブルースとロックンロールが、イギリスで若い世代に大流行しロックと呼ばれ、その熱気がアメリカに還流し60年代の激動と化学反応して急速に社会的メッセージ性をもち始めました。
その時代の熱気やロックへの情熱が、この2つのライブ記録(映像・LP・CD)から感じることができます。
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アメリカ南部(テキサス)でゴスペル・ブルースを聴いて育ち、自らも歌っていました。
無名だった少女がモントレーに出てブルースロックを歌い、一夜にしてロックのスーパースターになりましたが、彼女自身はそれに馴染めず、覚醒剤やヘロイン中毒・アルコール依存症となりアルバム制作中にヘロイン事故により27才の若さで死亡しました。
ジャニスは、わずか3年余りのロック活動でしたが、現在でも最高の女性ロックシンガーと思います。
彼女の唄う「サマータイム」は、壮絶な人生の魂の歌声のようで強烈に心を打ちます。
● ジミ・ヘンドリックス(1943~1970)
a0212807_1263853.jpgロックファンからジミヘン(愛称)と呼ばれ愛されている不出世の天才ロックギタリストです。
彼もモントレー・ポップ・フェスティバルでの破天荒なライブパフォーマンスとギター演奏で一躍有名となりました。
彼のロック活動期間は4年‥音楽だけを愛する彼がロックビジネスに押し潰され、ヘロイン中毒となり27才の若さで死亡しました。
彼が後世のロックミュージシャンたちに高純度で濃厚なロック音楽を残してくれた功績は永遠に語り継がれることでしょう。
ウッドストックでアメリカ国歌をギターで演奏したパフォーマンスは、鳥肌が立つような感性です。
ギターで反戦(爆撃音と悲鳴)を表現した音楽は、芸術の域にあると思います。
ジミヘンは音符も音楽理論もなく、ギターを自由自在に弾くことで自分のオリジナル音を創り、自分の感性でロックを表現した最初の人です。
ロック史に残る有名なロックミュージシャン(とくにギタリストたち)は、ジミ・ヘンドリックスとの交友関係で、彼の才能を驚愕し絶賛しています。
歌うのをイヤがっていた彼がボブ・ディランを聴いて安心し、歌うようになったというエピソードはおもしろいと思います。
● ジム・モリソン(1943~1971)
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ザ・ドアーズの作詞を担当、詩の朗読のようなライブパフォーマンスを自らの表現手段とした詩人です。
LSD・アルコール依存症でコンサートの時も意識朦朧でライブ、27才の時パリのホテルに滞在中ヘロイン中毒で死亡しました。
大ヒット曲「Light My Fire」の歌詞に性的な言葉があるため、エド・サリバン・ショー出演時、テレビ局から一部歌詞を変えて歌うよう指示されましたが、これを無視して歌い大問題となり、これ以降テレビ番組出演がなくなりました。
体にぴったりの革パンツでのライブパフォーマンスもあって、彼はセックスシンボルと呼ばれるようになります。
ライブ最中に卑猥(ひわい)な行為をしたとして(警察のでっち上げ)ライブ途中に舞台から警官に引き吊り下ろされたり‥破滅型の詩人でロックミュージシャンでした。
フランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」の冒頭シーンのサウンドトラックに流れる「The end」が、非常に印象的です。
‥まっ暗闇の中から‥The end.This is The end と歌うジム・モリソンの刹那的な声は、当時のベトナム戦争の不条理や退廃を暗示する音楽の効果としてこれ以上のものはないとコッポラ監督(ジム・モリソンとはUCLA映画科時代のクラスメート)は迷わず決めたに違いありません。
● カート・コバーン(1967~1994)
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ニルヴァーナ(涅槃)のリーダーで、グランジロックのカリスマ‥グランジとは、汚れたとか薄汚いの意味です。
ニルヴァーナはパンクの常識‥単調なタテのり、ラフでヘタな演奏ではなく、メロディがきれいで心地良く聴くことができます。
子供の頃カート・コバーンはビートルズの大ファンだったとか、ビートルズを聴いて育った彼には、ビートルズのメロディセンスが遺伝しているのかもしれません。
80年代は、へビィメタル全盛のロックシーンでしたが、それに終止符を打ったのがグランジロックで、その象徴ともいうべきアルバムが、ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」です。
ニルヴァーナの最も有名な楽曲も「ネヴァーマインド」ですが、カート・コバーンはこの楽曲を嫌い、コンサートでの演奏をとても嫌がったそうです。
彼は新しい世代のロックヒーローとして大成功し名声を得ましたが、そんな自分に我慢ならず「衰え消えて行くより、今燃え尽きる方がいい」と遺書を残し1994年自宅で頭をショットガンで撃ち自殺しました。
彼もまた享年27才の若さでクロスロードを渡って逝きました。
彼の母は、「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と27才で死んだ息子を嘆いたそうです。
カート・コバーンの遺書も自分の心にあまりにも正直で純粋、息苦しいくらいに真摯です。

付録:アメリカのローリングストーン誌が選んだ歴史上偉大な100人のギタリスト
5位にロバート・ジョンソン、12位にカート・コバーン、当然第1位はジミ・ヘンドリックスです。
70位のエディ・ヴァン・ヘイレン、85位のランデイ・ローズは、評価が低すぎると思います。
100人の中に、ウルリッヒ・ロート、ゲイリー・ムーアの名前がないのは、私としては気に入りません。
ウルリッヒ・ロート(スコーピオンズ)の弾くギターはメロディに哀愁がありギターを咽び泣かせハード・ロックの様式美を創りました。
彼の正確無比なピッキング技術にも驚きます。
● ゲイリー・ムーア(1952~2011)
a0212807_129298.jpgギター演奏の巧すぎるギタリスト、ゲイリー・ムーアをロック&ブルースギターの人間国宝と呼ぶ人もいるくらいです。
ハードロックから始まりフュージョンを経て1990年「Still Got The Blues」でゲイリー・ムーアのブルースが確立されます。
彼の弾くギターは、嗚咽しながら哀歌(ブルース)を奏でます。
今年の2月、心臓発作で亡くなりました。
享年59才、もう少し彼のブルースを聴きたかった‥Still Got The Blues、ご冥福を心から祈ります。
by blues_rock | 2011-08-04 01:29 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)