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心の時空

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a day in my life

良寛と貞心尼‥恋愛のかたち

良寛(1758~1831)については、多くの人が、無欲恬淡で高潔な人柄を語り、有名な作家は、自らの人生の理想として多くの名著を残しています。
良寛は、道元(1200~1253)の「正法眼蔵」を生涯の教えとし、寺を持たず、民衆に仏法を説かず、山里の草庵での座禅と乞食(こつじき)により暮らしました。
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生涯、身を立つるに懶(ものう)く
騰々、天真に任す
嚢中、三升の米
炉辺、一束の薪
誰か問はん、迷悟の跡
何ぞ知らん、名利の塵
夜雨、草庵の裡
双脚、等間に伸ばす
号を「大愚」、揮毫(サイン)には、「南無阿弥陀仏」と書いたそうです。
良寛は、短歌・漢詩・書の達人でしたが‥歌詠みの歌、料理人の料理、書家の書を選ばず、そして好まず、遠ざけていました。
人から書を所望されても筆を取らなかった良寛ですが、子供たちから凧(たこ)に字を書いて欲しいと頼まれると喜んで「天上大風」・「いろは」・「一二三」などすぐに書いてあげたそうです。
晩年の夏目漱石は「則天去私」の心境に至り、禅を求め良寛の書を愛して‥大愚到り難く、志成り難し、と良寛への思慕を強くしています。
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融通無碍で、自由な良寛は、般若湯(酒)も嗜み、乞食で山を下りる時は懐に手マリを入れて日暮れまで子供たちと遊び、マリ突きやかくれんぼをしていました。

この里に/手まりつきつつ/子供らと
遊ぶ春日は/暮れずともよし(良寛)

良寛の歌と書を知り、人柄に感銘を受けた貞心尼は、良寛に弟子なりたいと願い出ます。
良寛70才、貞心尼30才の時です。
貞心尼が会ってくれるよう願い出ても、歌詠みの尼僧である貞心尼に会おうとしなかったので、ついに貞心尼は草庵に良寛を訪ねました。
良寛は不在でしたが、貞心尼は持参した手マリと歌を庵に残して帰ります。
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これぞこの/ほとけの道に/遊びつつ
つくやつきせぬ/みのりなるらむ(貞心尼)

このことがあってから良寛は、貞心尼に興味をもち歌を返します。

つきて見よ/ひふみよいむなや/ここのとを
とをとおさめて/またはじまるを(良寛)

貞心尼は、初めて良寛に会った時の喜びを素直に歌にしています。

きみにかく/あひ見ることの/うれしさも
まださめやらぬ/夢かとぞおもふ(貞心尼)

良寛と貞心尼は、良寛が死ぬまでの数年間、お互いを慈しみ敬愛する恋愛が続きました。

天が下に/みつる玉より/黄金より
春のはじめの/君がおとづれ(良寛)
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良寛の恋の歌に貞心尼は、良寛の恋心を茶化し遊ぶように返します。
墨染法衣姿の良寛が、自分はまるでカラスのようだと笑うと、同じ法衣姿の貞心尼は、ならば自分は子ガラスですと返し笑い合ったことを歌にしました。

鳶はとび/雀はすずめ/鷺はさぎ
烏はからす/何かあやしき(貞心尼)
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村人は、二人の仲を噂し心配しますが、二人は一向に意に介する風ではありませんでした。
二人は、度々会って花鳥風月を愛で、仏を語り、歌を詠みました。
そして良寛は、貞心尼に看取られて亡くなりました。

形見とて/何か残さむ/春は花
夏ほととぎす/秋はもみじ葉
(良寛)

良寛は、貞心尼の愛に心からの感謝をこめた辞世の句を贈りました。


うらを見せ/おもてを見せて/散るもみじ(良寛)
良寛の死後、貞心尼は良寛の旅した跡を追い、良寛の遺した歌を集め「はちすの露」という良寛の歌集を自ら編み、それを生涯肌身離さず持っていたそうです。
by blues_rock | 2011-07-15 22:45 | 人生/愛(Love) | Comments(1)
Commented by blues_rock at 2015-03-24 22:01
pripri71さま
メール、拝見しました。
丁寧なお言葉、ありがとうございます。
山形県といえば、農業関係の仕事をしていた私にとって「遊佐」が、一番の懐かしい思い出の地です。
それと藤沢小説の舞台「海坂藩」を通してイメージする人情味厚い自然豊かな山形でしょうか。
「距離感がうまくつかめず、馴れ馴れしいような気もして(略)」とありましたが、そんな感じは、まったくありませんのでご心配に及びません。
拙ブログを読んでくださり本当にありがとうございました。