アールヌーヴォーとジャポニスム
そのアールヌーヴォー美術様式を象徴的に表現したのが、ガラス工芸作家エミール・ガレ(フランス)やグラフィック美術のアルフォンス・ミュンシャ(チェコ)でした。
それまでのヨーロッパ芸術に、日本の美意識が触媒となり、ヨーロッパの芸術観を根底から変えたのでした。
フランス、ナンシーのガラス職人であったエミール・ガレ(1846~1904)は、ナンシーに留学していた日本人高島北海(1850~1931本名得三)に、運命的な出遭いをします。
エミール・ガレ40才、高島北海36才の時のことでした。
高島北海は、明治新政府の林業地質技官としてフランス林業を学ぶためでしたが、彼は植物学に造詣深く、絵を描くことも得意でしたので、数多くの写生(スケッチ)を描いて遺しています。
まさに高島北海が、描いた数多くの植物や昆虫・小動物の写生細密画をエミール・ガレは見て、彼の個性的で芸術性溢れるインスピレーションから、美しいアールヌーヴォー様式のガラス芸術作品は生まれました。
1976年福岡だったと記憶していますが、日本で最後の「高島北海展」を見ました。
彼のまとまった写生細密画(百数十点)はどれも見事な描写力で、高島北海の絵を見たエミール・ガレ始めナンシーの人々は、驚嘆し感動したことでしょう。
この展覧会の作品は、展覧会終了後、残念ながらアメリカのボストン美術館に収蔵されました。
とくにボストン美術館にある多数の浮世絵コレクションは、明治維新の文明開化に酔い痴れた当時の日本人が捨てた浮世絵をフェノロサが収集したものです。