ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

川喜田半泥子

川喜多半泥子(1878~1963享年85才)は、実業家で趣味人ながら、彼の手と窯から創られた数々の陶器は、資産家の道楽ではありません。
a0212807_14284690.jpg
多忙な日常にあっても、書画骨董・茶の湯・作陶・俳句・写真など多彩な趣味をもち、そのどれもカタチに囚われない自由な姿勢で遊んでいることです。
自宅に窯を築いて、自らの作陶を楽しみ‥戦前の千歳山では、二、三万は作った、戦後の廣永で一万斗(陶土の量)はあるから合わせるとかなりの数になると、晩年の手紙に書いています。
a0212807_1429645.jpg
半泥子の号は「半ば泥みて、半ば泥まず」という意味とか、他に無茶法師(むちゃほうし)、莫加野(耶)廬(ばかやろう)、鳴穂堂(なるほどう)主人、反古大尽(ほごだいじん)などの号もありますから、精神も相当柔軟な自由人で、ユーモア溢れる人であったと想像されます。
a0212807_14295166.jpg
桃山陶を復興した荒川豊蔵(1894~1985)、古備前復興の金重陶陽(1896~1967)、古萩復興の三輪休和(1895~1981後の休雪)とは、若い頃から交わり一緒に作陶の研究を重ねていますので、生半可な趣味の作陶ではありませんでした。
a0212807_14303152.jpg
加藤唐九郎・小山富士夫・中里無庵とも、親密に交遊し作陶しています。
彼の作陶センスは、数奇の極にあって芸術作品です。
桃山陶本阿弥光悦へのオマージュとして自ら土を弄り、庭の窯で焼いた数々の陶器はどれも新しく融通無碍の精神を感じることができます。
a0212807_14301223.jpg
窯から出た割れ・カケ・崩れの失敗作もモノハラに棄てず、半泥子自身その変形・異形・破壊の具合を楽しみ、むしろ生かそうと親しい金継ぎ師に送り、陶器に新しい生命を吹き込み唯一無二の個性ある陶器を創造しました。
a0212807_14293073.jpg
川喜多半泥子は、生涯自分の作品を売ることはなく、作陶したら惜しげもなく親しい友人・知人に与えていましたので趣味の作陶と素人扱いでした。
彼の作品が、芸術性高く破格の趣を放つのは、彼がすぐれた芸術愛好家で数寄者であったからと思います。
a0212807_14304781.jpg
今でこそ彼の作陶は「昭和の光悦」と絶賛され、書画では「昭和の仙崖」と賞賛される川喜多半泥子ですが‥彼は1歳で親をなくし伊勢の豪商川喜田家を継ぎ、自分を育ててくれた祖母政子の教えを守り、終生心に留めていたからかもしれません。

己を褒めるものは、悪魔と思うべし
我を誹(そし)るものは、善・知識と思うべし
by blues_rock | 2011-06-26 14:27 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)