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心の時空

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a day in my life

廃村寸前の山間(やまあい)

a0212807_235502.jpg西日本新聞の一面に「九州の限界集落が、1,094か所になった。3年前の1.3倍となり限界集落が進んでいる。全国では10,000か所となった。(‥以下省略)」という記事がありました。
「限界集落」とは、お役所用語で、その意味するところは「もうすぐ住む人がいなくなる過疎地、廃村寸前の集落」のことです。
お役所の「限界集落」の定義は、満65歳以上の高齢者が、人口の半分以上を占める地域のこととか‥お役所のいう「限界集落」は、介護保険制度の高齢者である満65歳など、まだ青二才で80歳代は言うに及ばず90歳代でも、今でも山仕事の現役という方が、数多くおられます。
a0212807_23543675.jpg大分県玖珠郡の山道脇で、乾シイタケを直売している高齢の椎茸生産者の方と話したら「アタシも七十超えたばってん、ここらじゃまだ若手ですたい。ワッハッハッ!」と豪快に笑い飛ばされました。
先日も福岡県星野村の山間(やまあい)で感じたのですが、木々の緑が美しい自然の中で、風に揺れる木の葉の音、かすかに届く渓流のせせらぎ、小鳥がさえずる声の他に聴こえる音のない静寂な時間と豊かな空間を満喫できる贅沢な場所は、山奥の「限界集落」まで行かないとないでしょう。a0212807_23551865.jpg
昔むかし、人のいなかったところに人が移り住み、生活を営みながら家族をなし、地域経済を作り、多くの世代を重ねた長い時間の中で、また人がどこかへ移動していくだけのこと‥「限界集落」とは、地域にやがて人がいなくなり無人となって、太古の自然に還ることを意味するのだから、そう大騒ぎすることもないと思います。
a0212807_23553484.jpg自然の悠久の時間の中で、生活を営み暮らしてきた人たちは、自然の摂理をわきまえ自分には、どうすることもできないこともあるということを知っています。
「限界集落」が増えることで困るのは、川下で生活するおおぜいの都市住民たちです。
山に住む人が、居なくなれば山は荒れ、棚田は失せ、豊かな水源もなくなるでしょう。a0212807_23554644.jpg
そして、川の下流で生活する都市住民も、やがて流れの止まった川の川底を見ながら、全国各地に無数に点在する都市の「限界集落」を知ることでしょう。
人類歴史の中で、最も栄え豊かであったと伝えられるローマ帝国の滅亡の原因は、ローマ帝国の人々による家屋と燃料消費のための森林伐採と、農地開墾のために、ローマ近隣の森を破壊し尽くしたことによる自然環境の悪化であったと自然科学者・歴史学者が、今に伝えています。a0212807_23561068.jpg
廃村寸前の集落で老いていき、高齢者となっても子供と別れ、長く住み慣れた山間(やまあい)の地を終の棲家と決めた人たちにとって、「限界集落」の呼び名は、人口過密地の大都市で喘(あえ)ぎながら暮らしている人々が、勝手にそう呼んでいるだけのお役人言語で、何の意味もありません。
by blues_rock | 2011-06-21 23:53 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)