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心の時空

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a day in my life

加藤唐九郎

人間国宝(無形文化財)の加藤唐九郎(1898~1985)が、なぜ古陶を巡る贋作事件(1960年永仁の壺事件)に関わったのか‥目的はなんであったのか‥古陶贋作のメリットとリスクを推理してみました。
1.はじめに
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私は、古い陶器が好きで、六古窯のやきものを中心に、各地の美術館・博物館・資料館で多くの古陶(甕・壺・茶碗など)を見てきました。
古陶には、古美術品(骨董)としてずいぶん高価なものもありますが、そもそも昔の人たちの生活道具(日用品)として、当時の窯元で働く無名な職人たちが、土を練りロクロを回し、登り窯で焼いて生成したもので、普段の暮らしに使いやすいよう自然に創りあげた容器でした。
古陶がもつ用の美に、茶人や大名・数寄人たちは心奪われ、茶の湯の道具として見立て、逸品を得ると銘をつけ桐の箱に入れて、後生大事と身近に置いて愛でてきました。
私個人も、桃山陶それも古志野に魅了されますので、彼らの気持ちは理解でき‥さもありなんと思います。
2.古志野
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志野といえば、荒川豊蔵(1894~1985)が、美濃(岐阜県可児市)山中の古窯跡で見つけた陶片は、志野は古瀬戸という従来の常識を覆(くつがえ)す歴史的大発見となりました。
その証拠を徳川美術館(名古屋市)に所蔵されている古志野茶碗(銘筍)に見ることができます。
志野は、江戸時代初期忽然と歴史から消え、荒川豊蔵が古志野を再興するまで、どこの窯で作陶されたかさえ分からず、長い間古瀬戸の窯とされてきました。
古志野の窯が消えたのは、志野に不可欠な陶土「もぐさ土」が、何かの理由で当時の職人の手に入らなくなったからではないか‥志野にとってもぐさ土が命であることから、そう推理しています。
荒川豊蔵は、古志野の陶片があったその古窯跡近くに自分の窯を設営(水月窯と命名)し、古志野を再現して多くの志野の名品を残しました。
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水月窯に隣接して、現在荒川豊蔵資料館ができ一般公開されています。
加藤唐九郎にも志野茶碗の傑作(銘紫匂い)があり、他に数多くの傑作名作を残し、それは名古屋市守山区の翠松園(加藤唐九郎作品館)で見ることができます。
このお二人は、桃山時代の古志野窯に引けをとらない志野を創ることができた数少ない名陶工と思います。
3.加藤唐九郎
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加藤唐九郎について書きたいと思っていましたら、友人が、「永仁の壺事件」に関するメールをしてきました。
加藤唐九郎は、稀代の名匠(陶工)であり、真摯な陶器研究家でした。
彼が、編纂した原色陶器大事典には、陶器のすべてが網羅されており、その内容たるや半端ではなく、驚嘆すべき質と量です。
陶器を知りつくした知識と陶器への情熱、求道者でないと決してできない見事な大作事典です。
加藤唐九郎は、土を知りつくし弄りつくして暮らし生きてきた人であり、人物も相当ユニークな人だったろうと推察いたします。
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当時すでに人間国宝(無形文化財)の加藤唐九郎は、1960年永仁の壺贋作事件渦中の人として世の中の批判を一身に浴びます。
永仁二年(1294)と銘のある瓶子(へいし)が、瀬戸の古窯跡から発掘され、鎌倉時代の古瀬戸であるとして国の重要文化財に指定されました。
この指定を推薦したのが、当時文部省にあって古陶磁研究の専門家で第一人者でもあった小山富士夫(1900~1975)でした。
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この古陶の真贋について、美術界・骨董界がマスコミを巻き込み騒ぐ中、加藤唐九郎の長男峰男(当時まだ十代)が、瓶子(へいし)は自分が作り、父唐九郎が銘を入れたものだと名のり出たからたいへんです。
加藤峰男は、その後父唐九郎と対立し、名前を岡部嶺男と変え陶芸家となります。
驚くのは、当時まだ十代の彼が、真贋で専門家を惑わすくらい父親ゆずりの作陶技術をすでにもち、早熟な名陶工であったと思えることです。
加藤唐九郎は‥永仁の壺(瓶子)は、自分が作ったと主張し、以後一切口を閉ざします。
これにより人間国宝(無形文化財)の称号は剥奪されますが、唐九郎はそんな世俗世事に我関せずと、風評などお構いなく「無一物」と号し、自らの作陶に専念し志野・唐津・織部・黄瀬戸‥と傑作を次々に残し、ライフワークの原色陶器大事典の編纂に没頭し、生涯を終えました。
4.加藤唐九郎の悪戯
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当時すでに人間国宝であった加藤唐九郎には、陶芸界の重鎮として地位も名誉もコレクターも数多であったと思いますので、お金のために古陶の贋作を作る必要は、まったくなかったはずです。
では、なぜ鎌倉時代の永仁の壺(瓶子)の贋作に銘を入れ、世に送り出したのか‥時代を超えた名陶を知り、作陶できる技量をもった稀代の陶工加藤唐九郎の悪戯ではなかのだろうか‥と推理しています。
古陶の贋作の出来映えをおもしろがり、どうせいずれバレるだろうと茶目っ気たっぷりのことだったのではないかと推理しています。
あなたならいかが、推理されますか?
5.あやうきにあそぶ
a0212807_22333380.jpg古美術骨董の世界で一流の目利きや数寄人は、真贋の間にある「あやうきにあそぶ」ものとか‥贋物を弄(いじ)られない者に、本物も分からないのだそうです。
値札や箱書き・鑑定書で真贋論争をするなどは、金銭欲にかられて自分の審美眼を他人に預け委ねることと同じ、もし値札・箱書き・鑑定書などが真っ赤な贋作(精巧な贋物)であったら、あなたはどうしますか?
やはり自分の眼で選んだものが、本当に美しく価値ある本物です。
自分の好き=数寄を育てるためには、真贋構わずたくさんの現物を見ることでしょう。
その中ににはつまらない本物もあれば、すばらしい贋作・贋物もあることが、自ずと分かってくると思います。
加藤唐九郎の作陶した贋古陶が他にもあり、古美術骨董の世界にあるとしたら愉快と思いませんか。
小山富士夫も永仁の壺贋作騒ぎの責任をとり文部省関係の仕事を辞め、この事件について一切沈黙します。
小山富士夫の偉業は、出光美術館(丸の内)の陶片室に所蔵されている日本・中国・朝鮮をはじめ世界の古窯跡から発見された膨大な陶片コレクションにあり、その古窯発掘と収集は彼の手によるものです。
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日本のやきものでは、瀬戸・美濃・唐津・肥前磁器など代表的な古窯跡の陶片を収蔵しています。
古代エジプト・中近東の古代遺跡から出土した中国・東南アジア古窯の陶片もあり、古代交易の意外な広がりの歴史を実感することができます。
陶片室で古い陶片を眺めていると、時間の経つのを忘れます。
(付録)写真は、すべて加藤唐九郎作陶によるものです。
by blues_rock | 2011-06-17 22:34 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)