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心の時空

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a day in my life

放浪の天才画家‥長谷川利行

先日、デイサービス施設にみえられた12名の皆様に「放浪の天才画家長谷川利行」の絵の話(絵の時間)をしました。
長谷川利行の絵は「すばらしい」としか言いようがなく、敬愛する白洲正子さんの言葉を借りれば‥どきどきさせるものだけが美しい、そのものです。
長谷川 利行(1891年、明治24年~1940年、昭和15年、享年49才)は、京都府に生まれました。
和歌山県で育ち、十代に短歌・詩に興味を持ち歌集「長谷川木葦集」を発行しています。
1921年上京し小説などを書いていましたが、いつの頃からか絵を描き始め独学でフォービスムを彷彿させる色彩鮮やかな作品を数多く残しています。
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絵の才能(センス)と情熱の溢れるまま速い筆のタッチで一気に描きあげ、人物画・風景画に多くの傑作を残しています。
生涯家(アトリエ)を持たず、場所を選ばず、放浪しながら情熱のまま絵を描いていました。
展覧会で受賞(二科展樗牛賞など)するなど少しずつ評価を高めていきました。
しかし、彼の日常生活は、浅草などの貧民街で一日中絵を描いているか、絵を売り少しの金を得て酒を飲んでいるかでした。
彼と付き会いのある知人の絵を描いて、本人に送りつけ借金したり、岸田國士ら著名人宅に押しかけて絵を描いては、金をせびったりするなど彼の私生活は、荒れ果てていました。
彼を知る人たちは、後世まで彼のことについてあまり話題にせず(このために彼の行動経歴には分からないことが多く)長谷川利行の才能が、評価されたのは彼の死後数十年たってからでした。a0212807_16323273.jpg
40才を過ぎても木賃宿・公園での野宿・救世軍救済所など転々として絵を描きながら安酒を飲み暮らしていました。
彼を理解する友人天城俊彦の主宰する画廊で個展をしていましたが、安酒の飲み過ぎで胃潰瘍を悪化させ次第に身体を衰弱させていきました。
1940年(昭和15年)上野近く三河島の路上で倒れ療養施設に収容されました。
胃潰瘍は、胃ガンとなり治療が必要でしたが、彼は拒否し49才で亡くなりました。
彼の絵・スケッチブック・画材等の所持品は、この施設の規則ですべて焼却されたそうです。
翌年、彼の死を知った天城俊彦により施設から長谷川利行の遺骨が、引き取られました。
1969年上野不忍池に「利行碑」(字は熊谷守一書)が建てられ、それに彼の短歌が刻まれています。
2009年2月TV番組のお宝探偵団で長谷川利行の油絵(カフェ・パウリスタ)が、彼と交流のあった安宿経営者の自宅押入れから発見されたと安宿経営者の遺族の方から鑑定依頼が出ていました。
長谷川利行には偽物も多く鑑定依頼のあった絵は地味な色彩の風景画でしたが鑑定の結果、長谷川利行の作品でした。a0212807_16324856.jpg
この絵も宿代が払えずに、代わりに置いていったものと推察いたします。
放浪しながら、毎日浴びるように安酒を飲み、絵を描いては、人に手渡していた長谷川利行の絵が、まだどこかの家の押入れの奥か、納屋の片隅にホコリを被り、遺されているかもしれません。
by blues_rock | 2011-06-16 21:24 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)